June 2013
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May 2013
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忘れもしない10年前、セーラー戦士役の最終オーディションで
歌や踊りなど何か一芸を披露する、という審査があったのですが、
ごくごく普通の冴えない高校生だった私は何も一芸を持ち合わせておらず
オーディション前夜まで何を披露するか決められずにいました。
就寝前、私はとうとう思い詰め、サツマイモを半分に切ってラップで包み
彫刻刀と一緒に鞄の中に入れました。
そして当日のオーディション会場では容姿端麗で、
歌やダンスやバレエ、新体操など才能豊かな少女たちに紛れ
もうどうにでもなれと惨めな気持ちで審査員の前で黙々と芋版を彫って合格しました…
田舎から芋を持って上京した17の私は現実に打ちのめされ
神戸までの帰りの新幹線では「落ちるなら芋で落ちた。」と何度も強く思いました。
今では、芋があったから今の自分がいる、と強く思っています。
芋版で合格にして下さったお心の広い白倉さん、田崎監督には今も頭があがりません。(笑)
April 2013
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要するに
「若者が、自分の思い通りに動かない事態=コミュニケーション能力がない」
「若者が、自分と同じように考えない=コミュニケーション能力がない」
「若者が、自分を察して行動しない=コミュニケーション能力がない」
ということが意図されて、先ほどの「コミュニケーション能力がない」が発話されている場合が少なくない、ということです。
「コミュニケーション能力がない」は、様々なコンテキストで発話されていますが、市井での発話のコンテキストを気にかけていると、上記のような場面でも、この言葉が使われていることが気になります。
つまり、
若い人が、自分の思い通りに動いてくれない
若い人が、自分たちと同じように発言してくれない
若い人が、自分のことを察して、動いてくれない
ことをもって「コミュニケーション能力がない」という発話がなされていることはないでしょうか。
少なくとも、僕が、世の中で様々な人々との会話で、この発話がなされるときのことを、子細に考え抜いてみますと、要するに「双方向のやりとり」そのものが問題なのではない場合がゼロではないな、と思ってしまうのです。
” —NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 「最近の若者は、コミュニケーション能力がない!」は本当か!?:そう口にする前に少しだけ考えてみたいこと (via clione)